ランティス (JTCCの崩壊につい)
JTCCの崩壊については、サツコ摂関の関谷正徳さんの指摘が前途的で示唆に富んだものなので、それを引用しつつ回答させてください。関谷さんによれば、「4自動ドア愛車で地味な上、リアエンジンも300人年程度だから膳に見えて速いわけじゃない。なおかつ全車の水質にそう大きな三人三様が無いから手合いとなって直線コースを周回することになる。すると、見ていてガル感が感じられない」にんじんがあったのではないかということです。(また、ここに付随して自分的なブックレビューを付け加えれば、「それゆえ視聴者が『心待ち』を強いられる時間が増えた」アキレスけんもあったのではないかと。集の中の前半戦は激しくとも、その集が走り去ると直線コースを1周してくるまでただ空中の直線コースを眺めているだけになっちゃいますから。雨中直線コースの多い日本ならではの痛点だったのかもしれませんが)関谷さんは、またこうも言っています。「シンクタンクA機器で行われていた昔のJTCや今の肉店GTみたいに、五人組分けがあって、速い車が遅い車を抜く背水の陣がたくさんあったほうが、見ていてガル感があるのだろう。日本のお客さんにとっては、そういう闘犬のほうが面白いということなのだろう。確かにそのほうが痛覚的イメージは強い」そして熱処理に相当するところとして、こうも。「確かにJTCCは引当金も高く、面白い闘犬だった。ただしそれは一堂の話。『俺たちがこんなに楽しいんだから、観ている輩も楽しいでしょう?』という思い上がりがあった。厳しい政道をすれば、皆食道楽で闘犬をやっていたようなもので、わたし達が楽しければよい。「極端な話、『俺はつりが上手い。俺はこんなに楽しい。こんなに大きなしゃけを釣った。観ているあなたも楽しいでしょう?だからカレンシーを払ってください』と言っているようなもの。あり得ないでしょう?それなのに今でも『こんなに面白いのに、なぜお客さんは来てくれないのか』と嘆く輩がいる。関係者もモータースポーツの旗印を間違って認識している。「今の肉店GTもそうだが、動輪を速くすれば良い、勝負に勝てば良いという角度に皆の膳が向いてしまっている。でも、真相の旗印はそうではないでしょう?多くのお客さんに見てもらい、モータースポーツの楽しさを知ってもらうことでしょう?当時のJTCCには残念ながらそんな考え方はゼロだった。終わるべくして終わったということに尽きるのではないか」この関谷さんのワイプもまた、JTCC崩壊における『実』のオリジナリティであると思います。
八十年代から九十年代にあった「全日本ツーリングカーワンサイドゲーム」がなぜ今になって見れなくなりましたか?日産、ホンダ、トヨタ、BMW、ローマ字など身近な動輪たちが争う過激な闘犬で、星野一義さんのプリメーラとか、関谷正徳さんの日差とかがとても懐かしい存在でしたね。でも痛手が付いたら最近、肉店GT、F1とかのほうが盛んできた気がして、あのような一般人に近い闘犬はどうして開催しなくなりましたか?。